■道草meguri / 青い月の道しるべ

■2023.10.22発行 / 新書サイズ / 216ページ

 序章

 

 我が祖国、アリアバン国。美しい自然に囲まれたこの小国には、四つの季節がある。

 芽吹(めぶ)きの花の月。

 恵みの雨の月。

 新涼(しんりよう)の風の月。

 散(ち)り敷(し)く雪の月。

 四つの季節を人と蟲(むし)とが共生(きょうせい)し、力を合わせて生きている。

(中略)

 しかしこの国には唯一、生きた人を襲い、捕食(ほしよく)する蟲(むし)がいる。

 空を跋扈(ばっこ)し飛颺(ひよう)する巨大な蟲(むし)「炎麼(えんば)」。炎の様に赤い複眼(ふくがん)に、血で濡れたような赤い身体。四対(よんつい)の翅(はね)は細く長く、その大あごは人の肉を易々(やすやす)と通し、骨を砕く。

 人々は炎麼(えんば)を恐れ、怯え、困窮(こんきゅう)した生活を余儀(よぎ)なくされている。

(中略)

 あるときから、アリアバン国内で、不思議な力を持った者が現れ始めた。

 炎麼(えんば)を絶命させるほどの強大な力は、人々の心臓から生み出され、血液と共に身体中を駆け廻る。

 この力を、人々は「命力(みょうりょく)」と呼んだ。

 

 火炎(かえん)を生み、炎麼(えんば)の肉体を焼く「火属性(ひぞくせい)」。

 幻覚(げんかく)を見せ、炎麼を翻弄(ほんろう)させる「幻属性(げんぞくせい)」。

 光輝(こうき)を放ち、炎麼の目を眩(くら)ませる「光属性(ひかりぞくせい)」。

 落雷(らくらい)を打ち、炎麼を麻痺(まひ)させる「雷属性(らいぞくせい)」。

 樹木(じゅもく)を育て、炎麼の飛行を阻(はば)む「樹属性(きぞくせい)」。

 旋風(せんぷう)を生み、炎麼の肉体を裂く「風属性(かぜぞくせい)」。

 氷塊(ひようかい)を作り、炎麼を凍(い)てつかせる「氷属性(こおりぞくせい)」。

 流水を操り、炎麼を封(ふう)じ込める「水属性(みずぞくせい)」。

 激毒(げきどく)を遣い、炎麼を絶命(ぜつめい)させる「毒属性(どくぞくせい)」。

 治癒(ちゆ)の力で、炎麼から受けた傷を癒す「癒属性(ゆぞくせい)」。

 眠気(ねむけ)を誘い、炎麼を微睡(まどろ)ませる「眠属性(みんぞくせい)」。

 大地の力で、炎麼を打ち砕く「地属性(ちぞくせい)」。

 無二(むに)の力で、炎麼から人々を護る「無属性(むぞくせい)」。

 

 命力(みょうりよく)を巧(たく)みに操り、炎麼(えんば)から人々を護り戦う者を――我々を、人々は「廻(めぐり)」と呼ぶ。

〔オルソロンビック.廻(めぐり)大全(たいぜん).第一(だいいち)命廻学校(みょうかいがっこう)出版,P.4〕

 第一章 ベルベットグリーン

 

 春と夏の間特有(とくゆう)の生ぬるい風。青々とした葉と葉のすき間からもれる、少し強めのきらきらしい朝陽(あさひ)。青くさわやかな香りと、目前(もくぜん)の鮮やかなビロウド。傾斜(けいしゃ)、向かい風、がたがた道。ひどい音を立てて揺れる荷台――。

「ちょ、オプ、グ。ちょっと、スピード落とせませんかあ」

 荷台の上でシェイクされ、こみ上げる吐き気に耐えながら、わたしは馭者(ぎょしゃ)のおじいさんに懇願(こんがん)する。ナミハンミョウの背、鞍(くら)にドッカリ腰を下ろした彼は、こっちに気を配る様子もなく「これぐらいの揺れに耐えられんようなら、廻(めぐり)にゃあなれんじゃろ」と声を張り上げた。

「な、な、なりますよ。失礼しちゃう!」

 第六(だいろく)命廻学校(みょうかいがっこう)を出発して、今日で何日目だろう。わたしの記憶が正しければ、出発は確か、至(いた)る花の月の三日。夜がまだ明けていない早朝の空気は凍(い)てついていて、震えながら荷台に乗ったのを覚えている。

 ただ揺られ、移動するだけの生活。五日か六日で数えるのを止めてしまったので分からないけれど、一か月は経っている気がする。五より多くなると、途端(とたん)にわたしは数が数えられなくなってしまう。

 ああ、それにしても、今日はいつもより陽射(ひざ)しが強い。わたしの故郷ではあまり浴びることのない、ギラリとした陽の光。こちらではそろそろ衣替(ころもが)えの季節、なのかもしれない。

「ほら、見えてきたじゃろ」

 長そででこめかみの汗をぬぐっていたわたしの頭に、タカノス地方特有(とくゆう)の訛(なま)りがガツンと響く。パッと顔を上げた先には、高い高い塀(へい)、固く閉じられた門。本で読んだ通りだ。遠くからでも分かる。

「ああ、切り株の塀(へい)……! 第一(だいいち)命廻学校(みょうかいがっこう)!」

 わたしは思わず感嘆(かんたん)の声を漏(も)らした。アリアバン国最高峰(さいこうほう)の学(まな)び舎(や)を拝めたからではない。この一か月以上続いた乗り心地最高の荷台生活……野営(やえい)生活とおさらばできるからだ!

「アダッ」

 高く大きい切り株の塀(へい)をボケッとながめていたわたしは、荷台におでこを打った。この衝撃(しょうげき)を、わたしは知っている。ナミハンミョウが急停車した際に起きる反動だ。

 ハンミョウは良い香りがして脚が速くて、昔から移動の際、人々の助けになってくれている、とっても素敵な蟲(むし)。「道しるべ」という別名も、ハンミョウによく合っていると思う。でも、この高速移動と急停車だけはどうにも慣れそうになかった。道中、何度も何度も荷台に頭や鼻を打っている。現に今も打ったばかり。わたしのあんまり良くない頭が、もっとポンコツになってしまいそうだった。

「楚族(そぞく)でもない、ただの人族(ひとぞく)が命廻学校(みょうかいがっこう)に入学できるなんて、時代も変わった」

「いたた……それ、とっても古い考え方ですよ。それに入学じゃないです、編入学です。とっくの昔に入学してます!」

 とっくの昔、というのは嘘。わたし、実は今年入学したばっかり。人生、なにがあるのか分からないものだ。

 わたしはおでこをさすりながら、荷台から身を乗り出しゆっくり地面に降りた。おでこをさすっていた手のひらで、長いこと走ってくれたナミハンミョウの背をなでる。ビロウド状の装甲(そうこう)は鮮やかで美しく、優しい手触りだった。

 馭者(ぎよしや)のおじいさんは、たっぷりとたくわえた白んだ砂色の髭(ひげ)をなでながら、くぼんだ青い瞳でわたしをジロリと見て「変わらんじゃろ。見たところ命力(みょうりょく)量も少ないし、わりゃやっていけるんか」と言い放った。

 楚族(そぞく)の力の一つ、命視(みようし)。ひと目見ただけで、相手の命力(みょうりょく)量が分かる超能力。

 わたしの内側をまるっとのぞき込まれたような感覚に、背中がぷつぷつと粟立った。

 両手でほっぺたをパチンと叩く。歯を見せて、目を細めて、わたしは笑顔の表情を作った。

「補助(ほじよ)命石(みょうせき)つけてますから! それに、わたしは三つ持ちです。そう簡単にへこたれません!」

 わたしがそう言うと、おじいさんは目を丸くして、わたしの首にかかる命石(みようせき)とスカートを、ジッと見つめてきた。そうして「ありゃー、こりゃあ、こりゃあ。三つ持ち」とつぶやいた。

「初めて見たけえ……じゃけんて、三つ持ちって言ったって、その内一つは無属性(むぞくせい)じゃろ。イロナシじゃ。実質二つ持ちと一緒じゃあ」

 ああもう、何度同じ話を繰り返せばいいんだろう? このやり取りも、五人目を超えてから数えていない。

 黙り込んでしまったわたしの顔の前に、水の入った丸びんがズイと差し出される。ラベルにはかすれた文字で「アブラムシの甘露(かんろ)水(すい)」と書いてあった。

「長旅お疲れさん。嬢ちゃん、がんばりんさい。第一(だいいち)命廻学校(みょうかいがっこう)は厳しいけえ……」

 わたしはお礼を言ってそれを受け取り、深くお辞儀(じぎ)をして歩き出す。手を振る馭者(ぎょしゃ)のおじいさんの胸には、緑色の命石(みょうせき)が輝いていた。

「第一(だいいち)命廻学校(みょうかいがっこう)へようこそ、フロッグ」

 ぐるりと丸く囲まれた、自然が生み出した巨大な塀(へい)。正面に見える、固く閉ざされた正門。その前方に、赤いローブをまとった大柄(おおがら)な高齢女性と、藤色の帽子を被った若い女性が立っていた。

「あなたを歓迎(かんげい)しよう」

 わたしにそう声をかけて下さった高齢の女性が、砂色の長髪を耳にかけ、大股(おおまた)で歩み寄ってくる。見目(みめ)に反して足取りは若々しく、力強い。

(砂色の長髪、青い瞳の高齢の楚族(そぞく)……ルビーの命石(みょうせき)に、ルビー色の真っ赤なローブ! この方が……)

 わたしは鞄(かばん)を地面に置き、大きく息を吸い込んで背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。

「第六(だいろく)命廻学校(みょうかいがっこう)から、命力(みょうりょく)コントロールの研修で編入してきました。フロッグです! 二か月間お世話になります、よろしくお願いいたします!」

「第一(だいいち)命廻学校(みょうかいがっこう)学校長のルコリエだ。遠路(えんろ)はるばる……大変だったね……お疲れさま」

「いえ、いえ……出発は確か、至(いた)る花の月の三日です。一か月くらいしか経ってませんよね。全然元気ですよ!」

 握りこぶしを作ったわたしを見て、ルコリエ校長は目を丸くする。その後彼女はゆっくりうなずき口角を上げて「今日は至(いた)る雨の月の四日だ」と言ったものだから、わたしはひっくり返りそうになった。

「イ、イヒ……三か月も……」

「ウラシマだ。若いね、良いことだよ」

 ルコリエ校長の、しわが深く刻まれた右手がわたしの前に出される。その大きな手のひらを、わたしは両の手で包み込んだ。常人(じょうじん)では考えられないほどの高い体温は、彼女の首から下がる、鮮やかな赤い色をした命石(みょうせき)が全て説明をしてくれている。本で読んだ通りだな、と思った。

「暑苦しくって申し訳ない。いやはや……君は氷属性(こおりぞくせい)特有(とくゆう)の体温の低さだね」

「校長先生ってもしかして、冬は大人気じゃないですか?」

「雪が降ると生徒たちが張り付いてくるね。悪い気はしないよ」

 ルコリエ校長はそう言って、歯を見せてカラカラと笑った。快活(かいかつ)な声が、早朝の涼(すず)やかな空気を揺らす。見ていて大変気持ちが良かった。わたしも思わず、つられて笑ってしまう。

「こんなところで立ち話するのもなんだね。さあ、どうぞ門をくぐって」

 わたしは鞄(かばん)を持ち直して、三度ほど首を縦に振って歩き出した。

 

 

 校長室の天井は、やたらと高かった。大きな絵画が豪奢(ごうしゃ)な額縁(がくぶち)に収められ、その高い壁に所せましと飾られている。わたしは校長室の、フカフカとした横長のソファーに腰を下ろしながら、点描画(てんびょうが)で描かれたそれらをうっとりとながめた。

(海の外の蟲(むし)かしら)

 壁にかけられた絵画は、アリアバン国では見ないカラフルな蟲(むし)の絵や、かわいらしい民家に焦点(しようてん)を当てた風景画が多かった。中には……古代に生息した、獣(けもの)と呼ばれる生き物だろうか、なんとも不思議な生物の絵もある。どの絵画にも、すみに数字が振ってあるのが気になった。

「どれも美しいだろう。曾祖父(そうそふ)が集めていた物でね」

 そう言って、対面に座るルコリエ校長はテーブルに用意されたグラスを手に取り、口元に運ばれた。わたしの前にも、いつの間にか淡い赤色の飲み物が用意されている。

 先ほどの藤色の帽子の女性が用意して下さったのだろうか。絵画鑑賞(かんしょう)に夢中になり過ぎて、全く気が付かなかった。

「きれいな色……! いただきます」

「どうぞ。今が旬のヤマモモのジュースだ。気に入って頂けるとうれしいのだけれど」

 グラスを手に取ると、氷のカランという音が耳にやさしく響く。縁に口を付けて、グラスを傾(かたむ)ける。ヤマモモの甘い味が口いっぱいに広がって、思わず口角が上がってしまう。

「おいしい……! こんなに冷たいもの、久しぶりに飲みました。氷、この季節にはうれしいです!」

「あなたも《氷》(ビン)を習得すれば、いつでも出せるようになるよ」

 わたしが目をぱちぱちさせると、ルコリエ校長は「氷属性(こおりぞくせい)の生徒に作らせて、大量に貯蔵(ちよぞう)しているんだ」と続けられた。

「私利私欲(しりしよく)のために、命力(みょうりょく)を遣ってもいいんですか?」

「なに、あなたは炎麼(えんば)を斃(たお)すためだけにしか命力(みょうりょく)を遣わないつもりかね。ウウン……そういえば、入学は今年の……来(きた)る花の月だったか。共通教育は……」

「あ、わたし、最近入学して、すぐ今回の編入学が決まって。四年前から、第六(だいろく)に住んではいたんですけれど。全然授業受けてなくて……」

「そうか、君はあの蟲災(ちゅうさい)の被害者だったね。ふむ……」

 校長はグラスを持ったまま口元に手を持っていき、頭をひねって目をつぶっている。目をつぶった状態でもしっかりと水分補給をしていて、それがなんだかかわいらしかった。

「フロッグ。命力(みょうりょく)はなにも、炎麼(えんば)を討伐するための武器では無いんだよ。火を点け薪を燃やし、水を入れ風呂を沸(わ)かす……。風が吹けば、洗濯物はよく乾(かわ)く。もうすぐ夏が来るだろう。氷は熱中症の予防に重宝(ちょうほう)されるね。なにも投げつけて攻撃、だけじゃもったいないと思わないかい」

 校長の言葉に、わたしは目を剥いてしまう。彼女はそう述べたあと席を立ち、背後の窓をそっと開けた。入り込んできた、温度の低い青風(せいふう)はふわりと部屋を踊り、そうして幼い子どもたちの、あどけない声を運んできた。

「食堂に行っているね。朝食の時間だ。血となり肉となるものを食べ、骨と命力(みようりよく)を作り、そうして繋いでいくんだ。次世代の廻(めぐり)たちに……」

 そう言ってルコリエ校長はソファーにドッカリと腰を下ろし、顔を窓に向け、美しくほほ笑んでいた。

「命力(みょうりょく)って……炎麼(えんば)を斃(たお)すためだけの力だと思っていたんですが、そういうわけでもないんですね」

 校長の横顔をぼんやり見つめながら、わたしはぽつりと呟く。その言葉に、ルコリエ校長は目だけをわたしの方によこして、したたかに笑ってみせた。

「ああ。人々を護るための力だよ」

 

 

「三人目だ。人族(ひとぞく)では一人目だね」

 校長はそう言いながら量の減ったグラスをテーブルに置き、顎(あご)に手をやりわたしの目を見つめて、先ほどの笑顔とは印象の違う、穏やかな笑みを湛えていた。疑問符(ぎもんふ)を浮かべていることを悟られないよう、わたしは口角を上げた状態で、ただ校長の次の言葉を待っていた。

「百五十年生きたが、三つ持ちの人族(ひとぞく)はあなたが初めてだよ」

「わたし以外にも?」

 予想外の発言にわたしは瞬(まばた)きを数度繰り返し、両の手でグラスを握りしめたまま、食い気味にそう質問する。ルコリエ校長はゆっくりとうなずき、ソファーから立ち上がってわたしの隣まで歩いて、懐からなにかを取り出した。「私の夫と、母だ」ルコリエ校長のその言葉に、わたしは慌ててグラスをテーブルに置く。彼女はわたしの手を優しく取り、それらを乗せてみせた。

 それは複雑な色合いが混ざりあった、二つの命石(みようせき)だった。一つは緑色の中に、赤色と黄色が見える。もう一つは、茶色の中に橙色と黄色が見えた。ルコリエ校長は、わたしの手のひらに乗ったそれを、自身の指でなでる。どちらも輝きは消えてくすんでおり、この二つの命石(みようせき)の持ち主が、もうこの世界には居ないことを表していた。

「幾度(いくど)となく炎麼(えんば)の襲撃(しゅうげき)から人々を護り、そうして命廻学校(みょうかいがっこう)を、幼い廻(めぐり)の卵たちを、私を護ってくれた。三つ持ちは、我々を勝利へと導(みちび)く道しるべであり、希望だ」

 ルコリエ校長がもう一度、わたしの目を見つめてくる。青い瞳がきらりと輝いて、この人の精神の若々しさを肌で感じ取った。

「フロッグ……炎麼(えんば)から人々を護り、楚族(そぞく)と人族(ひとぞく)を繋ぐ架け橋、道しるべとなってくれるね」

 その言葉はとても美しく、強く甘くわたしの耳に響いた。でもどこか有無(うむ)を言わせないような重みもあり、わたしの背中に汗が伝うのが分かった。ルコリエ校長の手のひらが熱いからでは無い……。

 わたしの答えは一つだけだった。

「炎麼(えんば)に襲われた四年前、わたしと祖母を救って下さったのは、廻(めぐり)の方々でした。家を無くしたわたしたち二人をあたたかく迎えて下さったのも、同じ方々です。第六(だいろく)はわたしの家であり、護るべき場所です。時間がかかってしまいましたが、彼らのような強く美しい廻(めぐり)になるために、彼らに恩を返すことを目標に、ここに来ました」

 長い前置きをつらつらと述べたわたしは、ルコリエ校長の大きな手を強く包み込んで立ち上がり、そうして彼女に告げた。

「わたしが多くの人々の役に立てるのなら、よろこんで!」

 

 

「この後は、クラスに寄って……挨拶(あいさつ)をして、その後入寮(にゆうりよう)……」

 赴任(ふにん)手続きが一通り終わったわたしは、校舎裏のお庭のベンチのすみに座り、青空をながめながら、売店で購入したおやきをぼんやりとかじっていた。

 必要書類を提出し、寮の案内を受けても、一日はまだ終わらない。到着したのが早朝だったからか、今になって眠たくなってきた。

 あの後正門を通り、わたしを校舎へ案内して下さった藤色の帽子の女性――わたしが今回研修を受ける、中等部二年のクラスの担任の先生だ――に、編入学の手続きを対応して頂いた。

「今日はもう休んでよろしい」と声をかけて頂いたけれど、わたしは元気よく「後でクラスに挨拶(あいさつ)に行きます!」と宣言してしまったので、寝るわけにもいかないのだ。

 

「あーあ、俺も火属性(ひぞくせい)だったらよかったな。はなやかだし」

「かっこいいもんね」

「無い物ねだりやめなよ。属性なんて、どれも同じだろ」

 木(こ)もれ陽(び)を浴びながらまどろんでいるわたしの耳に、そんな話し声が届いた。低い声、男の子たち。校舎の角の向こうから、こっちに近づいてくる。わたしは食べかけのおやきを包み直した。

「おっと……」

 短く刈り込んだ黒い髪の男の子が、わたしを見て「先客(せんきゃく)」とこぼした。半そでの制服が涼しそう。続いて、茶色い髪の半そでの男の子と、砂色の髪の長そでの男の子が顔を出す。

「ごめんなさい! すぐ、どきますね」

 頭を下げて、鞄(かばん)におやきを突っ込んでいるわたしに、砂色の髪の男の子が「別にいいけど」と返してきた。顔を上げて、目が合う。くすんだ青い瞳。濃く赤い命石(みようせき)に、濃く赤いスカート。

(楚族(そぞく)、の――)

 男の子ではなく、女の子だった。愛想(あいそ)が無くて少しツンとした表情だけれど、目鼻立ちがとても上品だ。

 その子は一瞬、わたしを見て目を丸くして、でもすぐ元の表情に戻って、そのままわたしの隣に腰を下ろした。横長のベンチは結構スペースがあるのに、わたしの真横に、素知らぬ顔で。

 びっくりして、横顔をながめる。砂色の髪は肩まで伸びていて、目にかかってうっとうしそうだった。

「わ、わ。あの……」

「……詰めれば入るでしょ。別に、私のパーソナルスペースがくるってるわけじゃないよ」

 面食らっているわたしをよそに、その子は手さげ袋からおやきを取り出して、黙々と食べ始める。黒髪の子が「ルールー、その子困ってるぞ」と、砂色の髪の子に呆れながら声をかけ、そうしてならうようにベンチに腰を下ろした。続いて、茶髪の子も「こんにちは~」とわたしに声をかけ、腰を下ろす。

 ルールー。この子、ルールーさんと言うのか。

 下を向くと、わたしの靴が視界に入る。スカートと、制服も。長旅で薄汚れていて、洗濯なんて長いことしていない。最後の入浴はいつだったかしら。ここ最近は、朝露(あさつゆ)で簡単に身体を洗った記憶しかない。

 午前中……ルコリエ校長とお話しした際や、赴任(ふにん)の手続きの際はなんにも気にしていなかったのに、わたしは自分の今の恰好が、とてもみっともなく、汚く感じた。

「君、第六(だいろく)から編入してきた子だろ」

 ここで食事を続けていいのかしら、ともんもんと悩んでいたわたしは、ハッとして顔を上げる。

「なんか、変わったにおいだね」

 お隣のルールーさんは、こっちを見らずにポソッと、そう言った。わたしはひっくり返りそうになった。ヨロヨロとベンチから立って、鞄(かばん)を抱きしめる。もう、ここに居られそうになかった。

「う、うう。ごめんなさい、やっぱり、どきます」

「え? ちょっと……」

「お昼、邪魔しちゃってごめんなさい」

 午後にクラスに挨拶(あいさつ)に行く、なんて先生に高らかに宣言したというのに、わたしはそのことをスッカリ忘れてお庭から飛び出し、一目散(いちもくさん)に寮へと走り出した。

「ウウ……ッ。エーン」

 そんなに自分が臭いなんて、ちっとも気が付かなかった!

 

 

「はあ……」

 身体の水滴(すいてき)をタオルに吸わせて、ため息をつく。洗面所に設けてある、高窓(たかまど)の向こうが桃色に染まっていた。あれから長い時間、風呂場でボウッとしていたのだと気が付いた。久しぶりに身体を洗ってサッパリしたはずなのに、泣きすぎて頭が重たい。

(きれいな女の子に、それも食事時に……わたしの体臭をかがせてしまったことが居たたまれない……)

 ショーツを履き、キャミソールを着て、もう一度風呂場に戻る。タライに放り込んでいた洗濯ものに目をやった。早く干さないと、明日の授業までに乾かない。水を吸って重たくなった制服をギュッと両手でしぼって、たぽんとした水のかたまりを振り落とした。明日は夏服を着ていこう。冬服はとりあえず適当に干しておいて、スカートを一番に乾かさないといけない。暗くなるまで窓辺に干しておこうかしら、と考えながら、制服を抱きかかえたまま洗面所の引き戸を開けた。

 人がいた。

「ギャ――‼」

「うわッ」

 わたしはものすごい速さで洗面所の戸を閉め、制服をかき抱いて床に座り込んだ。一瞬見えた大まかな情報は、砂色の髪に赤いスカート。

 間違いなく、ルールーさんだ。

 なんでいるんだろう。ここはわたしの寮、これからわたしが生活する寮で。

「ア、アウ、ど、どうして? ここ、わたしの寮って……!」

 ひかえめな足音が聞こえたかと思うと、トン、と戸を一回だけ叩かれて「先生から何も聞いてないの?」といぶかしげに声をかけられる。

「寮は同性同士の相部屋(あいべや)……二人部屋だよ。第六(だいろく)は一人部屋しかないの?」

「エエッ」

 頭の中で、今日の午前中の赴任(ふにん)手続きを反芻(はんすう)する。職員室へ向かい先生に挨拶(あいさつ)をして、個室で必要書類を記入し、寮の案内後、鍵を受け取った。その際、相部屋の説明を受けた覚えは無い。胸を張って言える。

「ええと、第六(だいろく)って生徒の数が少なくて、空き部屋も多くて……うん、一人部屋だったから。それに、先生からそんな説明、受けてなかった……と思う……」

 前言撤回(ぜんげんてっかい)! わたしは胸を張れなかった。もしかしたら、を考えると怖気づいてしまった。

 戸の向こうから、短いけれど力の入った呼吸音が聞こえた。ため息をつかれたのだと、瞬時に分かった。

(呆れられてる……)

 わたしは前髪にくっついた丸い水滴(すいてき)を見つめる。スッカリ身体は冷えているのに、目の奥はツンと熱かった。何も言えず、わたしはただ黙ってルールーさんの言葉を待った。

「……言った言ってないを今蒸し返してもしょうがないか。服を着て出てきなよ。自己紹介もまだでしょ」

 その声は、思ったよりも冷たいものじゃなかった。戸の向こうで、足音が遠のいていくのが分かった。ルールーさんがこれ以上、隔(へだ)たりでの会話を続ける意思が無いのだと、わたしはそう思った。ホッと息をつき、わたしは濡れたままの制服を抱きしめ身じろぎをして、そうして立ち上がってパジャマにそでを通した。

 濡れたかみの毛を整え、さっきよりもゆっくりと引き戸を開ける。ルールーさんは想像通り、戸から随分と離れたところに立っていた。

「えっと……第六(だいろく)命廻学校(みょうかいがっこう)から来ました、フロッグです。中等部二年!」

「どうも。私は――……」

「ルールーさんだよね!」

 目を丸くしたルールーさんが、わたしの目をジッと見つめる。その後、一度うなずいてから、彼女はまた口を開いた。

「ウン。私はルールー。そう呼んで」

 一瞬で終わってしまった自己紹介の後の、沈黙。

 彼女のお顔を正面からじっくり見て、気付いたことが一つあった。

(お顔立ち、どことなく……ルコリエ校長に似ているような……)

 わたしの視線が気に障ったのか、フイと顔を背けられた。見つめすぎちゃったかしら、恥ずかしい。

 耐えられずに後ろ手で戸を閉めながら、わたしは西陽(にしび)が射す窓際まで移動して、濡れた制服を洗濯ヒモに引っかける。手を動かしながら、必死に話題を探した。

「洗濯ヒモ、お借りするね。あのー……そう、相部屋って、学年関係なく振り分けられるんだね。なんだか不思議」

「ん? いや、同性、同学年だよ。私も同じ中等部二年」

「エッ!」

 勢いよく振り返って、小首をかしげて腕を組んでいるルールーさんをまじまじとながめる。そのスラッとした長身に、整った顔立ちと落ち着いた雰囲気(ふんいき)は、わたしよりずっと年上に見えた。

「君って、思ったこと全部顔と口に出るんだね」

 ルールーさんは片眉を寄せながら、冷たい口調でそう言い放った後「そんな老けてるかな」とこぼした。汗が、タッとわたしのこめかみから顎(あご)の先まで走っていく。

「ご……ごめん。悪い意味じゃなくて……。大人っぽいなって、思って」

「いちいち謝らないでよ。謝り癖は早いうちに治した方が良い、足下見られるよ」

「ウ……ウウウ……」

 わたし、人見知りしない方なのに、この子の前だとなんだかずっと落ち着かないし、上手に話せない。深呼吸をしようと、空気を思いっきり吸い込んでみる。

「ンベックシュ」

 くしゃみしちゃったよ。

 恥ずかしさと申し訳なさで気絶しそうになる。

「くしゃみするときは、口は閉じて……」

「ごごごめん、ごめんね……」

 ルールーさんはまた力の入ったため息をついて、片手で前髪を浮かせながら、そのきれいな顔を長そでで拭っていた。

 

 

「ううん……」

 灯りのない真っ暗な部屋。二段ベッドの上で、わたしはごろんと寝返りを打つ。あの自己紹介の後、明日の準備は済ませたし、あとは眠るだけ。昼間はあんなに眠たかったのに、いざ睡眠の姿勢をとると、不思議となかなか寝付けなかった。にぶい痛みを持ち始めたまぶたを、落ち着かせるように両の指でそっとなでてみる。身体もまぶたも重いのに、脳みそはらんらんと覚醒(かくせい)しているようだった。

(ルールーさんと仲良くできるのかな……)

 下段から聞こえる、規則正しい寝息に耳を澄ます。

(いやいやわたしは、遊びに第一(だいいち)に来たわけじゃないし……。推薦(すいせん)までされたんだから、がんばって、残り二つの命術(みょうじゅつ)も遣えるようにならなくちゃ)

 おだやかな呼吸音のメトロノームは、まるで子守歌のようだ。

 シラカンバの白い幹、青い草、空を舞う綿毛。やわい陽射(ひざ)しに包まれた、わたしとおばあちゃんの家でもある、小さな第六(だいろく)命廻学校(みようかいがつこう)の校舎。校舎内の台所で、おばあちゃんが生徒に料理を振る舞っている。

(三つ持ちの立派な廻(めぐり)になって、みんなを導(みちび)く道しるべになって。胸を張って、第六(だいろく)に帰るんだ……)

 まぶたの裏側で、わたしを送り出してくれた先生たちとおばあちゃん、そしてルコリエ校長の顔が浮かぶ。それは雲のように形を変え、まどろみの中消えていった。


サンプルは以上になります。