■meguri / 1 / 碧い風の音、春の斜光
■2022.11.27発行 / 新書サイズ / 224ページ
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序章
去(さ)る花の月の六日。天気、晴れ。風、ややあり。
あたしはハルジオンの太(ふと)か幹(みき)を、もうじば足場に登っていく。背負(しょ)いこんできた丸びんが網(あみ)かごに食いこんで、窮屈(きゅうくつ)そうにギシギシ音ば立てよる。
でこっぱちににじんだ汗をぬぐって、あたしは顔ば上げた。はるか上空のハルジオンのがくに、ビッシリとアブラムシが食(は)んどるのが見えた。手前の葉っぱの裏っかわには、生まれたばかりなんだろう、小さくてかわいいアブラムシの赤んぼが二匹、ジッとこちらばうかがっとる。
「カボ、カボション……。葉っぱの裏に、アブラムシが二匹いるよ」
下方(かほう)から聞こえた消え入りそうな声に、あたしはムッとする。
「分かっとるわ。こいつらはまだチビだから取らん」
顔は上空のまま、乱暴(らんぼう)に答える。幹をうろつくクロヤマアリと目が合ったけど、素知(そし)らぬ顔でそのまま登って行く。がくより三朾(てい)くらい下、目的の高さに登頂(とうちょう)した。アブラムシを一匹、幹からはがすように、両の手で優しくむしり取る。一度葉っぱにこしかけて、アブラムシをだっこしたまま息ば整えた。
あたしの心臓、さっきからやたらバクバク言っとる。休まず登(のぼ)っとったけん。……ウソ付いた、理由はそれだけじゃ無い。あたし、アリが嫌いなんだ。ちょっかい出して、あの太いあごにはさまれて、大ケガしちまった人の話ば聞いたことがあったけん。でも意外と、滅多なことでは蟲(むし)は人を襲(おそ)わないって、本当は気付いとる。あたし、七つのころからこの仕事しとるし、もう三年たつから。
あたしは、となりのハルジオンをうろつくクロヤマアリばながめる。アブラムシを喰うために登ってきたナナホシテントウに、クロヤマアリがかみついて、ハルジオンから振り落とした。あのあごだ。あのあごではさまれたら、と思うとゾッとする。ナナホシテントウを振り落としたクロヤマアリは、何事もなかったかのように、アブラムシの身体を己の触覚(しょっかく)でさかんにたたき、排泄(はいせつ)された甘露(かんろ)ば飲み下していた。あたしもアブラムシのしりを軽くたたき、アリみたいに甘露を口にふくむ。下から「原液で飲んだらだめだよ」と声が聞こえたばってん、無視してそのまま飲みこんだ。
アブラムシとアリが共生(きょうせい)するように、あたしたち人間もまた、蟲と共生していた。
第一章 はじまりの風
「うお」
ハルジオンがたわむ。突風(とつぷう)が、きつく結んだ髪(かみ)ば揺らした。思わず落っことしそうになったアブラムシをやわい力でかかえながら、身を乗り出して上空を見上げる。うっそうと背のびをするハルジオンのすき間から、黒い大きなかげが飛んで行ったような気がした。
「変な飛び方すんな!」空に向かってケチばつけると、地上からあわてふためく声が響(ひび)いた。
「やっぱり、命綱(いのちづな)が無いと危ないよ。カボション、君、自分のこと蟲だと思ってるでしょ……。ぼくたちの身体は、肉の身体なんだよ」
「ああもう、せっからしい。ブリオ、お前なんなんだよ。登りきらんクセ、文句言うな!」
「そっちが着いてきたクセに……。アブラムシなんてどこにでもいるんだから、わざわざぼくの見える所で、危ないことしないでよ」
「せからしかて言いよるどが! だまってそこらへんで、本でん読んどきゃヨカッたい!」
葉っぱから立ち上がり、下ばまっすぐ見すえて、あたしはそいつにどなる。それっきり、そいつは下を向いてだまりこくったので、あたしはプンと鼻を鳴らして、そのつむじばながめた。
あたしの仕事、アブラムシの甘露を収集すること。きのこの家で生活するチビたちは、この甘露が大好き。あたし自身も、この仕事がまあまあ好きだった。身体を動かすことは気持ちが良いし、甘露は原液(げんえき)のまま飲み放題。ハルジオンの上で、さわやかな風を浴びる心地良さは、トイレそうじや食器洗いでは体験できんし。ただ、毎日となると話が変わってくる。あたし以外に、この仕事をになうやつはいなかった。みんな、高い所がこわいってさ。下でウジウジしながら本ばだきしめとる、浅黒(あさぐろ)い肌のおかっぱ頭のブリオレットも、その一人だった。
ブリオの耳から下がる金色のピアスと、夜みたいな色をしたバングルが、陽の光に反射してチカチカ光ってヒジョーに目にうるさい。舌打ちをしながらアブラムシばもう二、三匹、幹からむしり取って、網かごから石英(せきえい)でできた丸びんば取り出す。タンポポ乳液(にゆうえき)で作られたゴム栓を外すと、気の抜けた音がハルジオンのさざめきにかき消された。
黄金色(こがねいろ)の甘露がたっぷりたまったびんを、陽の光にすかしながらながめて、せんをする。少ししぼんでしまったアブラムシにお礼ば言って、幹に帰そうとした。
できなかった。
でっかいなにかがハルジオンを次々なぎ倒し、あたしの目の前につっこんできたけんだ。
「アエエエ――ッ」
ハルジオンがバカみたいにたわんで、あたしとアブラムシは葉っぱから転がり落ちる。すごい情けない声ば上げてしまった。顔から地面に落ちたけど、そこらじゅうの葉っぱがクッションになって、なんとか助かった。
「ぶ、ブリオ。ブリオ! おるか。大丈夫か!」
生(お)いしげる葉っぱの下でアブラムシばだきかかえながら、うつぶせになってちぢこまり、どっかにいるであろうブリオに声ばかける。「平気」という小さいフニャフニャした声が、少しはなれた草っ原から聞こえて、あたしはひとまずホッとした。
あたしの背後で、きしむような音が鳴った。首だけを回して、後ろを見る。
草と草の間の、その先。とげのある、六本の黒い脚(あし)が見えた。
さっきつっこんできた、でっかいなにかだろうか。蟲。蟲なのか? 見たことが無い脚だった。
あたしはうつぶせの状態をくずさずに、息を殺してアブラムシをだきしめ、おそるおそる、葉と葉のすき間から蟲の人相(にんそう)を確認する。
(な、なんだ、この蟲……!)
でっかい蟲は、なんかもう、なんもかんもデカかった。でっかい蟲は……、ああ、長い、デカ蟲って呼ぶことにする。デカ蟲は、身体がやたらデカ細長かった。胸部(きょうぶ)はデカいし、複眼(ふくがん)もデカい上に赤黒い。というか、全体的にどこそこ赤黒い。血でもかぶってきたみたいだ。こぎゃん蟲、本当に見たことが無かった。
デカ蟲はまるで彫刻(ちょうこく)のように、静かにたたずんどった。しばらくしてから、六本の脚ば前へ前へと動かし、尾(お)をずりながら、辺(あた)りをうろつき始めた。歩くのが下手クソだ。あたしは変わらずアブラムシばだきしめたまま、右手を口に当てて、声を出さんようにつとめた。デカ蟲のあごからもれる、にぶく重いらんぐい歯(ば)のこすれる音に、あたしの背すじはゾワゾワとあわ立つ。
滅多なことでは、蟲は人をおそわない。そのはずなんだけれど。
(アリのあごと、比べモンにならん……)
次の瞬間、デカ蟲目がけて、赤く光る「なにか」がぶつかるのを見た。空から次々と降り注ぐそれの衝撃(しようげき)で、脚をおり、地面にたたき付けられたデカ蟲は、ぶすぶすけむりを上げながらデカ長い翅をバタつかせ、身体中の節(ふし)をカチカチ言わせながらもがいている。あたしは轟(とどろ)く地響(じひび)きに身体を震わせながら、それでもデカ蟲の観察(かんさつ)を続けた。赤く光る「なにか」の勢(いきお)いは弱まらない。降り注ぐそれは、火のかたまりのように見える。
デカ蟲はどうやら、燃えているらしかった。
「《火》(フー)」
高いところから、だれかの吐息(といき)みたいな声が、たしかに聞こえた。とたん、のた打つデカ蟲の身体は炎に包まれる。逃(にが)がすまいと、濃く赤い火炎(かえん)がとぐろをまく。生き物みたいだと思った。
デカ蟲の翅(はね)は、火にくべた古新聞(ふるしんぶん)のように丸まり、クチャクチャにしぼんで動かなくなって、次第に小さなかたまりに変質(へんしつ)した。
夢でも見てるみたいに、デカ蟲を包んでいた火はまわりの草や葉っぱに燃え移(うつ)らず、静かに消えていった。
「……カボ、カボション」
目ん前のデカ蟲だったものをハヒハヒ言いながらながめて、たっぷり三十秒ほどたった後、声をかけられる。アブラムシを左わき腹(ばら)にかかえたまま、あたしはあわてて立ち上がり、声がした方に顔を向ける。本をだきかかえたブリオがまゆを寄せて、あたしの前まで歩いてきた。
「びっくりしたね……」
ブリオはぼんやりとした眼差(まなざ)しで、あたしから視線をそらし、デカ蟲だったかたまりに目を向けた。あたしは、ふせられたブリオの長いまつ毛を、ただただながめた。
視線に気が付いたブリオと、バチッと目が合う。あたしの汚(よご)れた鼻っ面を見て、ブリオはおもむろに、ししゅうがほどこされた真っ白のハンカチを、ワンピースのポケットから取り出した。顔をぬぐおうとかがんでくるモンで、あたしはあわてて、その手を払いのけてしまった。
ブリオの視線が痛い。けむりみたいな、小さくて細いため息が聞こえたかと思うと、そいつはハンカチを元あった場所にしまいこんだ。
「……君のその態度(たいど)は改(あらた)めるべきだと思う」
ブリオのやわい声が、いつもよりイガイガとしていた。
「せからしか、指図(さしず)すんな」とあたしは言い返して、そっぽを向く。
「その粗野(そや)で乱暴な態度、本当に嫌いだ」
「は……ハア⁉ き、きら……むずかしか言葉使うな‼」
「ウワッ、おおい、大丈夫?」
上空から、声。あたしがバッと顔を上げたのと同時に、ブリオは青草(あおくさ)の裏っかわにかくれてしまった。
逆光(ぎやつこう)を浴びながら目を細める。あたしが登ってたハルジオンの葉っぱの上に、ハチマキをまいた、砂色の髪の毛の、タッパのある知らん大人が立っていた。知らん大人はハルジオンの葉っぱから地面へチョイ、と軽やかに飛びおりて、あたしとの間(あいだ)を詰めてくる。その首には、さっきデカ蟲を焼いた火と同じ、濃い赤色の石がぶら下がっていた。あたしの首に、タリ、と汗が流れる。
「まさか、こんな村はずれに人がいるなんて。びっくりさせちゃったね。大丈夫? ケガしてない?」
「アエエ、う、うん」
「チチチ」
知らん大人の肩に、ちっこい毛むくじゃらのヘンな蟲がたたずんで、小さな声で鳴いている。あたしはヘンな虫ばガン見しながら、どうやってこの場から逃げるか考えていた。
だって、さっき高いところから聞こえた吐息みたいな声と、同じ声をしていたから。
絶対に、さっきのデカ蟲ば燃やしたのは、こん人だって気付いた。
あの火のかたまりだったら、人間だってかんたんに燃やし尽くせる。つまりこん人は、快楽主義(かいらくしゆぎ)の極悪人(ごくあくにん)で、蟲と人を燃やすのが大好きな、犯罪者(はんざいしや)に違いないのだ。
その知らん大人……知らん犯罪者は、あたしがだきかかえるアブラムシを見て「オッ」とのんきな声を出した。
「アブラムシ。甘露採集をしていたんだね。美味しいよね、私も大好きなんだ」
「あ、あげるから、全部あげるから。燃やさんでくれ」
「えっ。燃やさないよ。……君、この近くに住んでるの?」
頭が取れるんじゃないかってくらいウンウン首を縦に振るあたしを見て、犯罪者はウーンと言ってあごに手をやった。あたしの髪の先からつま先まで、全身を見られているような感じがした。
「君は……ブリオレットさん……じゃないよね。名前を聞いても良いかな」
ブリオレット。犯罪者は今、ブリオレットと言った。あたしのひたいから、汗が流れ出て止まらない。ブリオをねらっているのか?
このままでは、ブリオが犯罪者に燃やされてしまう。あたしが口をアグアグさせていると、青草の裏から、ブリオがのろのろと出てきやがった。
ブリオは犯罪者の顔と、首にかかる石を交互に見ている。その表情は、どこかうかれてるように見えた。
「あの、ぼ、ぼくが、ぼくがブリオレットです。あ、ごめんなさい。はじめまして」
犯罪者は顔をゆるませ、息をはいた。そんで、ブリオににっこり笑いかける。
「ああ、良かった。はじめまして、ブリオレットさん。トグルと申します。命廻学校(みょうかいがつこう)で教員を務めています、廻(めぐり)です」
第二章 廻(めぐり)と呼ばれるお偉(えら)いさん
「道案内ありがとう、カボションさん」
イスに座る犯罪者……ではなく、トグルさんはあたしに声をかける。なんて返すのが正しいのかよく分からなくて、あたしはちょっとふり返って「アス」と返事をし、水割(みずわ)り甘露とさじをトグルさんの前に出した。
「これはどうも」と返すトグルさんは、さじでそれをすくい、口に運んだ。ダイニングテーブルをはさんで、ブリオと保母(ほぼ)のノコさん、対面(たいめん)するようにトグルさんがすわっている。二人の分の水割り甘露も作ってやるつもりで、コップを二つ取り出すと、ノコさんに「私はいらないよ」と声をかけられた。「あっそ」と返事をして、だまってブリオの分を作ってやる。
ブリオに水割り甘露を出した後、使わなかったコップを戸だなに片付けながら、窓の外に目をやる。西の空が、あたしの髪の毛と同じ色をしていた。明日は気持ちが良く晴れるだろうな、と思った。
いつもだったら、きのこの家のやつらと夕飯(ゆうはん)を食ってる時間だけど、今日は違った。もの珍(めずら)しい客人を前に、あたしとブリオ以外の子どもは、みんな部屋に引っこんだ。
ダイニングと子ども部屋はつながっているから、ドアを少しだけ開けて、みんなしてこっちを見てたけど。
あの後、トグルさんはデカ蟲だった小さなかたまりを、クツのかかとでていねいにつぶして、地面にころころ転がってたアブラムシたちを、ハルジオンの幹に帰していた。マメな犯罪者だと思った。ほんで、犯罪者があたしたちが住んどる家まで案内してほしい、なんて言うモンだから、あたしはバクバクしながらきのこの家まで道案内してしまったワケだ。
きのこの家に帰りつくなり「ノコさん助けて! こいつ犯罪者なんだ!」とあたしが大声ば出したけん、いっとき家ン中はパニック状態(じようたい)だった。チビたちは泣きわめくし、ブリオは青すじ立ててヘンな動きしよるし、犯罪者……トグルさんも面食(めんく)らっとったし。
その後あたしのカン違いだと判明(はんめい)すると、ノコさんにしこたま怒られた。どうやら、あのデカ蟲は悪(わる)い蟲で、クジョタイショウ? らしい。トグルさんは犯罪者でもなんでもなく、『メグリ』と呼ばれる、りっぱな役職(やくしよく)のえらい人らしかった。
「ブリオレットさん、顔のその……右目の下の白い模様(もよう)は、生まれつき?」
トグルさんがブリオにたずねる。水割り甘露を飲んでいたブリオは、あわててさじを置くと、ひざに手を置き話し始める。
「は、はい。前の……育て親のおじさんとおばさんから、赤ちゃんの頃からすでにあったと聞いています」
「そうなんだね、ありがとう。いや、急にごめんね。私の親族(しんぞく)も、似たような模様があるから気になって」
ブリオの表情がパッと明るくなる。あたしも、ブリオの顔の模様が気になって、本人に「そん模様はなんね」と直接聞いたことがあった。そんときのブリオは、あたしの話を適当に流したクセに、今、あっさりトグルさんに教えやがったけん、なんだかおもしろくなかった。
トグルさんは天井(てんじよう)をながめながら、また話し始める。
「本当にきのこでできたお家なんですね。先ほど拝見(はいけん)させて頂きましたが、毒抜(どくぬ)きがされている上、表面は補強(ほきよう)されている。子どもたちも安心して過ごすことができますね」
「あたしが、表面ばタンポポ乳液でガチガチに固(かた)めてやったんだ。ハエがよって来っと、せからしかけん」
トグルさんは天井から目ばはなして、あたしの目を見ながらにっこり笑った。
「カボションさんは、ネコ地方出身なのかな。中々聞かない方言だから、新鮮(しんせん)だ」
「ネコチホー?」
あたしは首ばかしげる。ネコチホーってなんだろう。トグルさんもつられて首をかしげながら「あれ、違った?」とこぼした。
「この子らは捨て子だったり、幼いころに親と死別(しべつ)した後うちに来ているから、詳(くわ)しい出自(しゆつじ)を知らないんです。それで、命廻学校のお偉いさんが、こんな辺鄙(へんぴ)なとこにわざわざ何の用なんでしょうか」
きのこの家の保母であるノコさんは、いつもよりとげを感じる声色で、しんみょうな顔でトグルさんに質問を投げかける。さっさと本題に入れと急かしているようだった。もう少し、あたしの武勇伝(ぶゆうでん)ば語りたかったばってん、どうやらそんな雰囲気では無いらしい。トグルさんは水割り甘露とさじをテーブルに置き「失礼しました」と深く頭ば下げた。そんであごに手をやって「ふむ」と言って、持ってきとらした鞄(かばん)に手ばつっこましだ。
黒い手袋(てぶくろ)をはめた大きな手には、一冊の本がにぎられている。そのおろいか(・・・・)本は、ブリオが今もひざに置いている本と、全く同じものだった。
「書店に置かれているこちら、廻大全(めぐりたいぜん)はご存じでしょうか。命廻学校出版の本でして、現役の廻は勿論、著名(ちよめい)な廻が年代順(ねんだいじゅん)に載っています。三年置きにリニューアルされているんです、かっこいいですよ」
「訪問販売(ほうもんはんばい)はやめて下さいって、貼り紙していたと思うんですが」
トグルさんはあわてて「あ、いや、違うんです」と両手を前に出して、ブンブン振っている。
メグリ。立派な役職のえらい人。あたし、このメグリって言葉を今日初めて聞いたモンで、今なんの説明(せつめい)ばしよらすのか、よお分からんかった。ノコさんはメグリば知っとるようだけど、あたしと同じで、どうにもピンときていない表情ばしとった。
トグルさんは耳の裏ばカリカリかきながら、鞄から一枚の紙切れを取り出した。
「ええっとですね。この本には、自身が『命力(みょうりょく)』を持っているかチェックできるおまけが三枚、奥付(おくづけ)に付録(ふろく)としてついています」
こういう物です、と説明をしながら、トグルさんは紙切れを口にふくんだ。すると、唾液(だえき)を吸った紙切れ全体が光を放つ。かべかけランプの炎より強いその光は、きらきらとまぶしい。あたしは「オオッ」と声ば出した。
「先ほどおまけと申しましたが、実質(じっしつ)この紙が本命です。この本は、ご親族に廻がいらっしゃらない家庭……未だ廻への理解が浸透(しんとう)していない家庭のお子さんに届くよう、全国の書店に置かれています。命力とは、炎麼(えんば)を打ち斃(たお)すほどの強い力のことです」
あたしはあわててブリオのひざに置かれた廻大全をうばい、バラバラとページをめくり、紙切れが収録(しゆうろく)されているページを見つけ出した。
紙切れは、二枚しか無かった。
トグルさんが、鞄から光かがやく封筒(ふうとう)を取り出した。違った。封筒が光っているんじゃなくて、その中の紙切れが光っていた。取り出された紙切れは、さっきのトグルさんの物と比べ物にならないほど、強い光をらんらんと放っていた。
「二週間前、命廻学校宛にこちらの紙が送られてきました。彼女は……ブリオレットさんは、とても強い命力(みょうりょく)をお持ちです」
今までうろんな表情をうかべていたノコさんが、目に見えてあわてふためき始めた。
トグルさんは続ける。
「一緒にお手紙も同封(どうふう)されていました。廻になりたいという、彼女の強い気持ちが伝わりました。我々教員は次世代(じせだい)の廻を育てるため、日々奔走(ほんそう)しております。是非(ぜひ)彼女を、我々に預(あず)けて頂けないでしょうか」
ノコさんがテーブルを両手でたたいて、ノコさんのとなりに座るブリオにつめよったモンで、あたしはちょっとウンザリした。ノコさんはたまにこうやって、あたしやチビたちを叱りつけてくることがある。あたしは廻大全をわきにかかえて、片方の手で耳をふさいだ。
「あなた、勝手に、どうして! どうして相談(そうだん)してくれなかったの!」
「どうしてって……。頭ごなしに、だめって言うでしょう」
ブリオはテーブルのシミをジッと見つめながら、いつもよりキパっとした口調でそう返した。あたしは片耳をふさいだまま、トグルさんをチラと見やった。トグルさんは、困ったように耳の裏をカリカリかいている。
後ろからながめるノコさんは、耳やうなじまで真っ赤だった。あたしが玄関(げんかん)のドアばメコメコにこわしたときや、チビたちのおやつばひとりじめしたときと同じくらい、ブリオに怒っとるのが分かった。
ノコさんは、ブリオが飲んでいた水割り甘露が入ったコップを引っつかみ、いきなりトグルさんにぶちまけた。あたしののどから、デカ蟲と遭遇(そうぐう)したときみたいな、情けない声がもれてしまった。ブリオもギョッとしている。子ども部屋からも、ひきつった声が聞こえた。
「あなたたち廻のことは知っています! 知っているけれど、この子たちには話さなかった。きれいごとばっかりですね。炎麼から、私たちを護(まも)ってくれていることには感謝しています。でも……でもね、炎麼に何人も……生きたまま生徒が喰(く)われてるっていう話を聞いて、だれが、だれが、かわいい我が子を差し出すと思いますか?」
ノコさんの口から飛び出した物騒(ぶっそう)な言葉に、思わず身がすくむ。
(は、はあ?)
蟲に、喰われる?
そぎゃん話、聞いたことがなかった。蟲ってのは、滅多なことでは人を襲わないんだ。それに、たとえ蟲が人ば喰うことがあったとしたら、それは人が死んで、身体からおらんごつなってからだ。ウソくさい。そぎゃんことが、あるワケがなか。
「ノコさん、落ち着けよ。蟲が人ば喰うて、蟲葬(ちゅうそう)じゃなかとだけん。そぎゃん話、聞いたことがなか。ホラ話たい……」
ノコさんはなんも答えず、ただ真剣に、マジに怒って、トグルさんばにらみ付けとった。
あたしは前方のブリオの、ほっぺたからあごにかけての輪郭線(りんかくせん)ばながめる。ブリオはあたしの視線なんか気付かずに、甘露にぬれたトグルさんを、ただ心配そうに見つめとった。
(こいつ、知っとって、そんなモンになるつもりなんか?)
ブリオはここから、はなれるつもりなんだろうか。
そんなモンになって、あたしの知らん場所で、蟲に――。
あたしはもう一度、わきにかかえた本、廻大全を開いた。
「志半ばに、子どもたち……生徒が炎麼に襲われていることは事実です。生徒を護ろうとした教員も、廻たちも、毎年命を落としています」
「ほら、やっぱりそうじゃない!」
トグルさんは頭に水滴(すいてき)をくっ付けたまま、ノコさんのデカい声ば浴びながら、表情を変えることなく続ける。
「ですが、子どもたちを、廻を育てないと……このアリアバン国に、世界に炎麼が跋扈(ばっこ)し、人々を炎麼の脅威(きようい)から護る者がいなくなります。我々廻は命力が有るだけの、ただの人間です。たまたま不思議な力を持って生まれてきた、ただの人間なんです。不死身ではありません。それは、命廻学校の生徒たちも、ブリオレットさんもそうです。近年、炎麼の狂暴化(きようぼうか)によって、アリアバン国内の廻の数は減少しています。次世代の廻がいなければ、廻の歴史を継いでいかなければ、いずれ我々人間の終わりが来ます。それだけは避けたいのです」
「ブリオレットは、この子は、そんな、消耗品(しようもうひん)じゃ無いんです‼」
ノコさんがワッとほえた後、しばらくしてトグルさんはイスから立ち上がり、「どうか」とあたしたちに深々と頭を下げた。ノコさんのフウフウ言う息づかいが、静かな部屋にやたらうるさく響く。
「なあ、トグルさん!」
あたしは声を張り上げて、このいやな、重っ苦しい空気を打ち破った。
「な……!」
驚(おどろ)きの声を上げたのは、あたしの目ん前におる、ブリオだった。そのムスカリみたいな色のでかい目ん玉は、あたしの右手に向けられていた。
「あたしも連れてってくれ!」
かかげたあたしの右の手には、唾液ば吸った紙が、ほんのかすかに光っていた。
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「カボ、忘れ物は無い?」
「無いよ。ノコさん、意外に心配性(しんぱいしょう)だな」
去(さ)る花の月の七日。天気、晴れ、雲あり。風、おだやか。
あたしとブリオがデカ蟲に遭遇して、一日がたった。あたしは大きなリュックを背負(しょ)いながら、ノコさんの顔ば見ずに外ばきにはきかえる。案外(あんがい)、トントン拍子(びょうし)で進むモンだ。
あの後、あたしとブリオは、文字の読み書きの確認やら、入学に必要な書類のサイン書きやら、おもんない作業をダイニングテーブルにかじりつきながら行った。ノコさんはフラフラしながら子ども部屋に行くと、いつもよりおそい夕飯ばチビたちに食わせてから、あたしたちの入学書類をながめ、日課の甘露酒(かんろしゅ)をちょっとだけ飲んで、そのまま寝室(しんしつ)に行ってしまった。
ノコさんは『いつも二人、一緒にいること』を条件に、あたしとブリオの入学ば許可(きよか)してくれた。あたし知っとる、ノコさんって意外と過保護(かほご)なんだ。それに言われなくても、あたしはブリオのそばにいてやるつもりだった。こいつ、泣き虫だけん。
「ブリオレット、あなたもそんな、小さい鞄で大丈夫? 忘れ物は……」
「大丈夫」ブリオは肩かけのショルダーバッグのつるひもを、指でくるくるしながら、素っ気なく返した。ノコさんは「そう」と小さくつぶやくだけだった。
外からバサバサ音がして、あたしはあわてて玄関ドアを開ける。そこには、大きな毛むくじゃらの生き物がたたずんでいた。ひたいには、濃い赤色の丸い石が埋まっている。こんな蟲、見たことが無い。昨日から、知らない蟲に出会いっぱなしだ。ノコさんもブリオも、目を真ん丸にして口を開けている。
その毛むくじゃらの生き物の背から、トグルさんが軽やかに地面に降り立った。
「お待たせしました。いやー、晴れて良かったですね。風も落ち着いていて、良い気候(きこう)です。あ、こっちの作業は片付いたので、出発できそうでしたらお声がけ下さい」
「いつでも行けます」
ブリオがそう答え、トグルさんの下へ歩き出した。毛むくじゃらの蟲に混乱(こんらん)しながら「あたしも!」とあわててかけ出すと、やわい力で腕を引かれる。振り返ると、今にも泣き出しそうなノコさんと目が合って、そのままきつくだきしめられた。
「ブリオレット、あなたも」ノコさんが声をかける。あたしからは見えないけれど、ブリオの遠慮(えんりよ)がちな足音が近づいて来るのが分かった。足音が止まったかと思うと、ノコさんはあたしごとブリオをだきしめた。苦しい。
「あなたたち二人を、私は自分の娘のように思っているわ……。なにかあったら、すぐ手紙を出して。いつでも帰ってきて良いからね。ここは、きのこの家は……あなたたちの帰る場所なんだから……」
「ノコさん、大げさだって! 手紙もさ、出すから」
ブリオは結局何も言わず、ノコさんの腕から抜け出すと、トグルさんの下(もと)へとかけよって行った。あたしも、あわててノコさんの太か腕ばのかす。
「ノコさん、大丈夫だよ」
「カボ、ブリオレットを護ってね。あの子、いつも一人で思い詰めて……」
「うん。ノコさんも、あんまカリカリして物に当たらんでね。元気でな」
あたしとノコさんの身体に、大きなかげがのびる。振り向くと、トグルさんが背後(はいご)に立っていた。トグルさんは、ノコさんの目線に合わせてかがみ、優しく話しかけた。
「ノコさん、娘さん二人をお預かりします」
ノコさんは昨日みたいな元気はないようで、あきらめたような表情ばして、弱々しくため息ばついた。
「昨日(さくじつ)はご無礼(ぶれい)を……ごめんなさい。ああ、お願いです、約束して下さい。二人を死なせないで下さい。廻なら、護って下さい……」
「廻の名に懸(か)けて」
きのこの家の窓から、チビたちが手を振っていた。あたしは優しいので、みんなに手を振り返してやる。
結局、ブリオが手を振り返すことはなかったけど。
「ところで、メグリってなんだ?」
木と木の間をぬうように、毛むくじゃらの生き物は飛行する。その背にふせをするように、ゴムベルトで固定されたあたしがたずねると、トグルさんの口元がひきつっていた。ブリオも白(しら)けた目でジロとこっちを見てくる。
「炎麼から人々を護り、炎麼を斃(たお)す人を廻と言うよ」
トグルさんは首から下げている石のひもを軽く持ち上げ、プラプラさせながら「これが廻の証(あかし)だよ」と言った。
「エンバってなんだ?」
「昨日私が燃やした蟲だよ」
「はあ、デカ蟲か。あたしにもすごか力があるとよね。あたしもトグルさんみたいになって、あのデカ蟲をギッタギタにする廻になるってワケだ。ク~、震えてきた。武者震(むしやぶる)いたいね。ダハハハハ」
トグルさんはあごに手をやり「カボションさんは、炎麼を見たことが無かったんだね」と、ささやくようにつぶやいた。あごに手を持っていくのは、どうやらこん人のクセらしい。
「うん。ブリオ、お前、廻についてなんか知っとっとだろ? お前が廻になりたいってことは、あいつと戦うつもりなんだろ? お前は、あれ見たことがあったんか? あれって人間を喰う蟲てばい。お前、マジで戦わん方がいいって。お前、絶対弱かモン」
「その呼び方やめて」
「はあ? おい、ブリオ、お前、知っとるなら教えてくれよ。廻について、なんか。あたしに、くーわーしーく!」
「話しかけないで」
「知っとるなら教えろて言いよっとっとたァい‼」
「わ、わー、まあまあ二人とも、喧嘩(けんか)しないで」
そっぽを向いたブリオにムカムカしながら、あたしはトグルさんの言葉を待った。
「炎麼は、現在確認できている数多くの蟲の中で、唯一……本能的(ほんのうてき)に人間を襲い、生きたまま人間を捕食(ほしょく)する、大型(おおがた)の蟲だよ」
「こっちがちょっかい出さんでも、襲ってくるのか?」
トグルさんは「ウン」と言ってうなずいた。人間を襲う蟲。あたしの脳みそにある、常識(じようしき)が上書きされていく。昨日あたしが感じた恐怖感(きようふかん)は、どうやら間違いではなかったらしい。
「あたしら、よく喰われなかったなあ……」
「口を焼いていたし、弱ってたからね」
物騒な戦法(せんぽう)だ。
「この毛むくじゃらの蟲に乗ってたたかってたんか?」
「そうだね。……ああ、ツンツンは蟲じゃないよ。この子は雀型命獣(すずめがたみょうじゅう)と言って、古代生物(こだいせいぶつ)である鳥……、スズメの見目(みめ)をしている命獣(みようじゅう)で――」
「ああもう、またアバの言葉が出てきた! そぎゃん一度に覚えられんわ!」
「ええ……。カボション、君、すごい訛(なま)るね……」
ツンツンと名付けられた、トリだかスズメだかミョウジュウだか、何だかよく分からない生き物は、ときおり木の枝に止まり羽を休める。顔に感じる春の風が気持ち良すぎて、あたしはウハウハ言いながら全てを楽しんでいた。となりのブリオは最初こそ青い顔をしていたけど、今はもう、あきらめたようにツンツンに身をゆだねていた。
「炎麼ってそんないないんじゃないの? あたし、あんな蟲がおるなんて、知らんかった」
「君たちの住んでいた所は保護区域内(ほごくいきない)だからね、見る機会(きかい)が無かったんだろう」
「ホゴクイキ?」あたしが首をかしげると、トグルさんがピッと、人差し指と中指で紙切ればはさんで、見せてきた。
しゃっきりとした、橙色(だいだいいろ)の紙切れ。
「これは『幻符(げんふ)』。炎麼除(よ)けの札だよ。保護区域内の指定範囲(していはんい)に貼っていくんだ。炎麼の目くらましに、度々(たびたび)使用しているよ」
「これ貼っときゃ、絶対に安全なの?」
「そうでもないよ。五年ほどで劣化(れつか)するからね。ああ、劣化って言うのは、古くなるって意味で……。古くなると効果が薄くなって、保護区域内でも奴らに侵入されて、襲われることがある。そうなる前に貼りかえるのも、廻の仕事だね。きのこの家の札、ちょっと古くなってたから、新しいものにかえてきたよ」
炎麼除けの札を手に取る。橙色ばした、長方形の紙切れ。きのこの家の裏やハルジオンの幹に貼ってあるのを、何度か見たことがあった。
「今朝、なんか作業してたのはこれかあ」
「……保護区域じゃない地域もあるんですか?」
ブリオの質問に、トグルさんは目をスッと細めながら「ウン」と答える。
「あるよ。廻の力に頼(たよ)らず生きている村、特に標高(ひようこう)が高い村……そこに住む人々は、保護区域に住む人々よりはるかに、炎麼に襲われるリスクがある。説得(せっとく)しても、廻を信用していない人たちだから、中々話を聞いてくれないけどね」
「そんなんほっとけばいいだろ。ジゴージトクだ」
「だめに決まってるでしょ……」
ブリオが怒ったような、困ったような顔で言ってくるので、あたしは舌を出した。
「あはは……今はまだ炎麼の活動時期ではないし、そこまで気を張らなくてもいいけどね。ああでも、昨日の炎麼は時季(じき)外(はず)れの個体だったな……」
トグルさんがあごに手をやって、少し遠い目をして「炎麼の生態(せいたい)が変わってきているのかもしれないね」とつぶやいた。そういえば昨日、きのこの家で廻の説明ばしよらすとき、炎麼の狂暴化がどーたらとか言いよらした気がする。
「よし、ここいらでちょっと地形を確認するから、高度上げるね。上空は風が強いから、ツンツンの背にしっかり掴(つか)まっているんだよ。それじゃツンツン、お願い」
ツンツンが「ヂー」と鳴きながら、ぐんぐん上へ飛んで行く。体験したことのない圧力(あつりよく)に、あたしはゲラゲラ笑った。空に背のびをする木々より高く、あたしたちは上空に飛び出した。
前方に、デカ蟲が見えた。
サンプルは以上になります。
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